選択的夫婦別姓法案が今国会では見送られたようです。

これを知り、「よかった~、ここはまだ壊されずに済んだ・・」とほっとしました。
ということで、現在の私は選択的夫婦別姓に反対なのですが、以前はそうではありませんでした。
以前は積極的に大賛成まではいかないまでも、夫婦別姓を強制するわけでもなく「選択的」なんだし、実際に別姓を望んでる人もいるわけだから選択肢が増えることに別に反対する必要もないんじゃない?=賛成という感じのスタンスでした。
で、そのスタンスで10年前に書いたのがこの記事ですね。
この記事の中でも書きましたが、当時は「自分が痛みや不都合を感じないことでも、それが耐えられないほどイヤな人もいる。そこを感じとることは、個々の夫婦関係を考えるときにも必要なことだと思う」という思いからの記事でした。
我ながら本当に浅はかで、穴があったら入りたい。
あ、誤解がないように言っておきますと、個々の夫婦関係を考えるときにはそれはとても大事な視点なんだってことについては今でも変わらずにそう思っています。
だって、それがいわゆる「思いやり」ですから。
でも、個々の人間関係における「思いやり」の視点をもって、国の制度の在り方に言及してしまうなんて、本当に浅はかなお花畑記事で、この当時の自分ともども穴を掘って埋めてしまいたい。
「誰だよ、このバカ女は」と言われても致し方ございません。
今は2025年ですが、今現在、この国はあっちもこっちも止めどなく壊(さ)れつつあるように感じます。
私はこれまでいわゆる無党派層でしたので、安倍晋三元首相のファンでもなんでもありませんが、安倍さんが亡くなられてからのこの国の加速度的な壊れっぷりには本当に驚くばかりです。
いや、本当はもうそのずっとずっとずっとずっと以前から、壊(さ)れてきていたんですよね。
安倍さんが亡くなられてから、それがあからさまに目に見えて分かるようになっただけで。
きっと、この夫婦別姓も日本を壊していく道筋にある一里塚のひとつなのでしょう。
現に、その先の一里塚であると思われる「戸籍廃止」についても盛んに取り沙汰されるようになってきました。
「個人が尊重される社会」については大いに賛成ですが、それを理由に自分が属する共同体が壊(さ)れていくのは容認できません。
なぜなら「個人の尊厳」や「権利」を保障・担保してくれるのは、自分が属する共同体だから。
それが壊(さ)れてしまったら、「個人の尊厳」も「権利」も絵に描いた餅になってしまう。
私が生まれて育った安全で豊かな日本。
それが、いつしか治安は悪化し貧しく安い国になり少子化は進む一方。
自分の子どもたち、そのまた子どもたちが安心して幸せに過ごせる日本であるように、この国が壊(さ)れていく流れに与したくはありません。
夫婦別姓制度に対する考えが変わってから、ずっと以前に書いた記事のことが気になっていましたが、今回やっと懺悔することができました。
上に記載した記事を削除することはできませんが、当該記事において主張した考えを現在は持ってはおりません。
さして影響力もない一個人の意見ではありますが、当該記事における考えは現在のものではないことをここにお伝えいたします。
自らの不見識と浅はかさを噛み締め懺悔しつつ、今の私は「選択的」であったとしても今の制度にかえて夫婦別姓を導入することにはキッパリと反対いたします。