今回は「思いやり」の難しさって?編です。
天使さん、悪魔さん、今回もよろしくお願いいたします。
さっそくですが、『「思いやり」の難しさって?』というテーマそのものですが、「思いやり」の難しさってどこにあるのでしょうか?
おぅ、それを考えるためにひとつ質問な。
お前が子どもに「思いやりのある言動」について分かりやすく教えるとしたら何て言う?
う~ん、そうですねぇ。
「自分がされてイヤなことは人にしたらダメだよ」ですかね。
よく使われるフレーズですね。「思いやり」を考える上でのファーストステップと言っていいでしょう。
子どもを含めた万人が理解できる「思いやり」についてのイメージとしてよく使われる言い回しでもありますね。
まぁな。でも、それだけじゃ足らないよな?
つまり、セカンドステップがあると?
そりゃ、あるだろ。
だって、お前、ファーストステップとしてお前が言ったことをよく考えてみろ。「自分がされてイヤなことは人にしない」だぞ。
・・・・。あぁ、たしかに・・。
よく考えてみれば「自分がされてイヤなことは人にしない」って、「思いやり」というよりも人として当たり前なような気もしますね・・。
逆に「自分がされてイヤなことを人にする」ヤツなんて、ただの鼻つまみ者でしかないような気が・・。
そうですね。自覚的に「自分がされてイヤなことを人にする」人は相当な鼻つまみ者と言っていいでしょうね。
ただ、子どものように経験が少なくて心が未熟だったり、大人でも何らかの理由で自分の心や感情を制御できない状況にある場合には、いつもは鼻つまみ者でなくても「自分がされてイヤことを人にしてしまう」ことはあると思いますよ。
なるほど・・。
そういう意味では、「自分がされてイヤなことは人にはしない」というファーストステップも戒めとして十分意味があるんですね。
はい。
まずは自分の痛みを感じないことには、他人の痛みなんて理解できませんしね。
そういう意味でも、特に子どもなどに「思いやり」を理解してもらうためには、このファーストステップは有効だと思いますよ。
そうそう。分かっててもやっちまうってのが人間ってヤツだしな。
よし、じゃぁ、ファーストステップを押さえたところで、次の指標としてのセカンドステップはどんなもんになるか考えてみな。
う~ん・・。ファーストステップが「自分がされてイヤなことは人にしない」だから・・、セカンドステップは・・・「自分はイヤでなくても、相手がイヤなことはしない」ですかねぇ。
それな!その答えを待ってたんだよ。
それが、今回のテーマの「思いやりの難しさ」よ。
なるほど・・。
「思いやりの難しさ」は「自分はイヤでなくても、相手がイヤなことはしない」にあると・・。
そう、「自分はイヤではない」けど「相手はイヤだと感じている」。
そのギャップを感じ取れるかどうかということですね。
相手の方がイヤなことはハッキリと「イヤだ」と言ってくれたり態度で示してくれたら分かりやすいですけどね。
そうだな。ハッキリと示してくれればまだ分かりやすいんだけども、人によっては傷ついたり不快に思っても、そうだとは言わずに流していくケースも多いからな。でも、傷ついたり不快になった事実はしっかりと残ってるんだよ。
時と場合によっては、イヤだ不快だという意思表示が難しいこともありますしね。
そうですね。そういった明確な意思表示はないけれども、相手が傷ついたり不快に感じたりしているという場合に、それに気づいて自分の行動を抑制していけるかが「思いやり」のあるなしを分ける難しいところです。
これができるかできないかは相当個人差があるというか、ここは得意、不得意がかなりハッキリでる分野なんじゃねーかとオレは思うんだよな。分かるヤツには簡単に分かるが、分かんねーヤツは全然分かんねーみたいな。
努力でどうこうできる分野ではないということですか?
いえ、努力すれば向上するでしょうし、気づけなければ大切な人やものを失ってしまう危険性もあるのですから努力すべきだと思いますよ。
でも、あえてそれを能力と言ってしまいますが、「数学が得意」「運動が得意」といった個人に能力の差があるように、その能力にもかなり個人差があるということは否めないでしょうね。
そ。だから、残酷なことを言うようだが、ガキでも分かるヤツは分かるしできるヤツはできる一方で、大人でも分かんねーヤツやできねーヤツはいっぱいいる。
なるほど・・。セカンドステップについては、できるできないにかなり個人差があるということですね。
ということは、できていない場合でも、気づけていないがためにやってしまうだけで本人には悪気もなく、また本人自身も悪い人ではないということも多いんですかね。
そうですね。たとえセカンドステップがうまくできていなくてもファーストステップをちゃんと心がけている人は、基本的にみんな良い人だと思いますし、本人自身も自分のことを「常識的な良い人」だと認識していると思いますよ。
ま、だからこそ余計に自分がセカンドステップをできていないってことに気づけないんだけどな。
こういう基本的には良い人だけどセカンドステップができていないがために相手を傷つけたり不快な思いをさせたりしている人は、それを防ぐためにどうしたらいいんでしょうか?
自分ではなかなか気づけないんだから気をつけようがなくないですか?
まずは、自分の価値観や物事の捉え方や感じ方を正しいと思いすぎないことですね。
もし、相手に「思いやりがない」「デリカシーがない」「自己チューだ」と言われるようなことがあったなら、「これくらい」とか「相手の受け取り方がおかしい」と捉えずに、「もしかしたら自分はセカンドステップができていないのかも・・」と受け止めてみるのもひとつの方法だと思いますよ。
セカンドステップをできていないかもしれない自分を認めるってことだな。
自分ができていないってことを自分で認めるのは、「いい人」であればこそなかなかに難しいけどな。
「自分はできていないかもしれない」ってことを認識できたら、そこについて学ぼうと思ったり相手の反応に関心を持とうという気にもなりやすいかもしれませんね。
そうですね。相手の反応に関心を持つのは大切なことです。相手の態度やトーンに違和感をちょっとでも感じたら、その前後で、自分が何か言ったりしたりしていないか、自分の言動を振り返ってみるのも有効です。
なるほど・・。そういった観察や振り返りを重ねていけば、相手がどんなことで傷ついたり悲しむのか、どんなことで不快になるのかのデータも蓄積していけますね。
それが相手への理解を深めるってことだな。
そうなっていくと、お互いの間に起きるイザコザやゴタゴタもグッと減ってくるだろうな。
そうですね。
あとは、何につけ相手の意向を確認することを心がけるようにするのもおすすめです。
セカンドステップができていない方は、自分の価値観や自分が正しいと思うことを相手に押し付けがちな傾向が見受けられるので、相手が本当はどう思っているのか、どうしたいと思っているのかといった相手の意向を確認していくことで、自分の感覚と相手の感覚のギャップに気づけるようになると思いますよ。
なるほど~、そうなればセカンドステップもクリアしていけそうですね!
はい!それではセカンドステップのクリアが見えてきたところで今回のテーマ「思いやり」の難しさって?編は終わりです。
天使さん、悪魔さん、今回もありがとうございました。
また、別のテーマでお二人にお話をうかがっていきますので楽しみにしていてくださいね~。