家族はチーム!妻に「大きな子ども」呼ばわりされたときに考えてみてほしいコト

日常生活での気づき
日常生活での気づき
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ダンナさんのことを指して

「ウチには大きな子どもが、
 もう一人いるから~」

っていう冗談混じりのセリフ、
どこかで聞いたことはありませんか?

 

自分がいつもそう言っている
という方もいらっしゃるかもしれませんし、

実際に自分の妻が自分のことを
そう言っているという方も
いらっしゃるかもしれませんね。

 

でも、
男性というか夫の側は、
自分の妻が自分のことを
「子ども」のようだと言っていても、

本当にただの冗談だと受け流すほかは、
あまりピンとこないようですね。

 

「何をバカなことを・・・。
 子どもが会社に行って
 金を稼いでこれるわけがないだろ~が。」

ってとこでしょうかね ^ ^ ;

 

でも、
妻が夫のことを
「大きな子ども」と感じることと、

夫がお金を稼いでくることとは、
あんまり関係がないんですよね。

 

この文脈でいう「子ども」とは、
いくら稼いでくるかとは別の話で、
ズバリ「手のかかる存在」ってことですね。

 

たとえ夫が
「手のかかる存在」だったとしても、
それが夫だけの場合には、
べつにさほど気にならないんですよね。

 

でも、
子どもが生まれて正真正銘の
「手のかかる存在」が
新しいメンバーとしてそこに加わると、

一気に「大きい子ども」の振る舞いが
育児に奮闘する妻の足を引っ張るものとして
目につくようになるわけです。

 

だって、
子どもが生まれて、
そのお世話に必死の妻が
必要としているのは、

一緒に助け合って
家庭を運営していける
大人のパートナーであって、

自分への世話を求めてくる
「大きな子ども」
ではないですからね。

 

それなのに、
妻が子どもの世話で
てんてこ舞いなのを目にしながら、

「オレのメシは~?」
「オレの〇〇は~?」
「オレの△△は~?」

と、オレ様への世話を求めてくる存在は、
「手のかかる大きな子ども」として、

むしろ疎ましくすら
あるかもしれません ^ ^ ;

 

それは、会社でどれだけ我慢を重ねて
大金を稼いできているからといっても
変わるものではありません・・・。

 

と、言うと、

「じゃぁ、夫は必死に働いて
 金を稼いで妻子を養っても
 (家計を支えても)
 家で労わってももらえないのか?
 オレは何のために結婚してるんだ?」

って感じる方もいるんだろうな・・・
と思います。

 

でも、どうなんでしょうね・・・。

その考え方で、
自分も相手も幸せになれるんでしょうか。

 

もし、
そういうふうに感じている方で、
どうも家庭での生活が
満たされていないという方は、

家事とか、役割分担とか、
家庭の在り方みたいなものについての
自分の考え方を、

ここで一度見つめ直してみた方が
いいんじゃないかな・・・と思います。

 

私は、家族(家庭)は
ひとつのチームだと思っています。

それを前提に話を進めますが、
そうだとすると、
チームの維持・発展に必要なコトは
全部チームの仕事ということになります。

 

「お金を稼いでくる」ことも、
生まれた「子どものお世話」をすることも、
「炊事」も「洗濯」も「買い物」も
「家計の管理」も「ご近所とのつきあい」も、

家庭というチームの維持・発展に
必要なコトは全部チームの仕事であり、

チームの仕事は
メンバー全員の仕事でもあります。

 

それを、どう分担していくのかは、
各家庭のやり方や決め方があるでしょうから、

構成員のメンバーが
それでOKとしているのであれば、
どんな形態でもいいと思います。

 

例えば、
「お金を稼いでくること」は夫の担当、
それ以外は全部妻の担当、

ということであっても、
夫婦で納得しているのであれば
何も問題はないと思います。

 

ただ、
それは「今」はそういう分担になっている
というだけであって、

分担とされた以外の仕事は
「自分の仕事ではない」
ということではありません。

 

家庭というチームを
維持・発展させていくために必要なコトは、

ぜ~んぶ、
潜在的には自分の仕事でもあります。

 

お金を稼ぐことも、
子どものお世話も、
炊事も洗濯も買い物も家計の管理も、

ぜ~んぶ、
(潜在的には)夫の仕事でもあり、
妻の仕事でもあるってことですね。

 

だから、
どちらか一方が病気や
その他の何らかの事情で、

担当していたことが
できなくなったりすれば、

それまでは担当していなかった
もう一方の方が
その仕事を代わって
やらざらるを得なくなりますよね。

 

それは、
「相手の仕事」を自分がやらされる
ことになったわけではなく、

もともとは(潜在的には)
「自分の仕事」でもあったけれども、

相手が担当してくれていたおかけで
やらずに済んでいたものが、

相手ができなくなったために
「自分の仕事」として
顕在化してきただけということです。

 

そう、

今、妻の担当になっている仕事は
「妻だけの仕事」ではなく、

妻が担当してくれているおかげて
自分がやらずに済んでいるモノということ。

 

もし、そんなふうに思えたとしたら、

「夫は必死に働いて金を稼いで
 妻子を養っても
 家で労わってももらえないのか?
 オレは何のために結婚してるんだ?」

っていうような不満はなくなる
(小さくなる)んじゃないかな・・・と

思うのですが、どうでしょうか。

 

もう一歩進めば、たとえ、
現時点での自分の担当は
「お金を稼いでくること」
だけだったとしても、

妻が子どものお世話で
てんてこ舞いのときには、

「妻は、
(自分の仕事でもある)子どもの世話を
 今はしてくれているから、
 とりあえず自分の世話くらいは自分でするかな」

って思えるのではないでしょうか。

 

もし、そう思えるようになれたら、
妻から「大きい子ども」呼ばわり
されることはなくなるでしょうね、
きっと ^ ^

 

ということで、
ここで、「大きな子ども」と
妻に思われているかもしれない
男性の方に、

ご存知の方も多いと思われる
有名なフレーズを送ります。

 

男性はこんなフレーズを
好きな方が多いんじゃないかな~と
勝手に思っているのですが、

これは、私が大学浪人中に
予備校に通っていたときの
英語の授業で聞いて
ちょっとジ~ンとした
ケネディ大統領の就任演説の一節です。

 

《my fellow Americans: ask not what your country can do for you — ask what you can do for your country.》

《わが親愛なるアメリカ国民のみなさん、国があなたのために何をしてくれるかと問うのではなく、あなたが国のために何ができるのかを問うてください》

 

あなたは、
あなたの家庭を
どんなチームにしていきたいですか?



その実現のために、
あなたは何をしたらいいのか、
あなたには何ができるのかを
考えてみてくださいね!

 

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