あなたにとっての「幸せ」は獲得するもの?それとも〇〇〇もの?

 

バルセロナ五輪の競泳で
金メダルを獲得した岩崎恭子さんが
離婚したということを、

1週間ほど前の
ヤフーのニュース記事で知りました。



どうやら
ご自身の不倫が原因なようですが、
まぁ、それは置いておくとして・・・。



その記事を読んでいて、
岩崎さんが昔、

バルセロナ五輪の競泳で
金メダルを取ったときのことを
思い出してしまったので、

今日はそのことについて
書いていこうかなと思います。



バルセロナ五輪があったとき、
私は高校生でした。

何年生だったかは
正確には思い出せませんが、
確か、1、2年生の時だったと思います。



ワイドショーか何かで、
岩崎さんの決勝のレースと
その後のインタビューの様子を
見たように記憶しているのですが、

そのインタビューでの

「いままで生きてきたなかで、
 いちばん幸せです!」

という岩崎さんの発言に、
強烈な違和感を感じたのを
覚えています。



一言で言うと、

「え?『幸せ』って
 こういう時に使うの?」


っていう違和感だったように思います。



当時の私にとって、
「幸せ」っていうものは、

優しい肌触りのあったかい毛布に
くるまっている感じというか、

「じんわ~り」
「ほんわ~り」と

感じるものという
感覚だったんでしょうね。



だから、金メダルのように、
血のにじむような努力の成果として
獲得したものが
「幸せ」と表現されたことに
違和感を覚えたんだと思います。



まぁ、
もちろんわかることはわかるんですよ、
その感覚も。



血ヘドを吐くほどの
大変な努力が実って
金メダルが獲れたことは、

「超」がいくつもつくほど
嬉しいでしょうし、

ものすごい達成感や
爽快感だと思います。



でも、「幸せ」ってそういうこと・・?
っていう違和感。

 

同じく競泳の北島康介さんが、
最初に金メダルを獲った時の
「ちょ~、気持ちいいっ」や、

2度目の時の
「なんも言えねぇっ」
って発言には、

ホントにピタッと
共感できたのに比べると・・・。



岩崎さんの当時の発言には、

「う~ん、
 もちろんそれは
 そうなんだろうけど、

 う~ん、でも、なんだかなぁ・・・」

と、私は感じずには
いられなかったんですよね。



まぁ、もちろん、
そんな違和感を感じるのは
私の勝手な感覚なので、

そういうシチュエーションを
「幸せ」と形容することを
否定はしません。



岩崎さんは、
その状況を「幸せ」だと感じたから
そう発言したんでしょうし、

同様の状況を同じように
「幸せ」だと感じる人も
大勢いるでしょうしね。



で、その岩崎さんの離婚を伝える
ヤフー記事の中に、

岩崎は講師プロフィールに
《大切なのは苦しみや頑張り、
 たどり着くまでの努力。
 それに耐え克服したものに
 幸せをつかむことができる》
と綴っていた。


とあるんですが、

読んでいて
「やっぱりなぁ・・・」と

感じてしまうプロフィールでした。

(細かいことを言いますと、
 「克服したものに」の部分は誤植で
 「克服したものが」の間違い
 でしょうね  ^ ^ ;)

 

だってね、
やっぱり疑問に感じちゃうんですよ・・。


「幸せ」って、
そんなにも頑張らないと
つかめないモノなの・・・?って。



恋愛・結婚でいうと、
努力を重ねた必死の自分磨きのすえ、

数多くいるライバルを蹴落とし、
誰もが羨むような
ハイスペック男をゲットして、

多くのゲストを前にした結婚式で、
努力が実った幸せをかみしめる

って感じですかね ^ ^ ;



う~ん・・・、
そんな幸せは、

なんだかしんどうそうな上に、
維持していくのも
大変そうですね・・・。




そんな幸せに、
あえて名前をつけるとすれば
「獲得系の幸せ」
でしょうか。



でも・・・、
「幸せ」って、
あえて苦しみに耐えて
何かを克服したりしなくても、

感じようと思えば
誰でも感じることができる、

もっと身近なものなんじゃないのかな・・・
と思うんですよね、私は。



寒い冬に外から暖かい部屋に
「ただいま」って帰ってきたとか、

誰かと一緒に
美味しいアイスを食べたとか、


べつに格別に何かの努力をしなくても、

誰かと一緒にいるってだけでも、

いやいや、
自分ひとりでいるときでも、

感じようとすれば
いくらでも感じられるもの。



こちらにも
名前をつけるとすれば

「感じる系の幸せ」
ですかね。



「獲得系の幸せ」も
「感じる系の幸せ」も
どちらも「幸せ」であるならば、

どちらの「幸せ」を
欲しいと思うかは、

その人それぞれ
なのかもしれません。



「獲得系の幸せ」は、
獲得するのに努力が必要な分、
それを手に入れたときの喜びも
ドカンと大きいのかもしれません。



でも、
その幸せをそのままの状態で
維持するのは大変でしょうし、

いったん手にいれたら
失うのが怖くなったり、

それが小さくなっていったりすれば
不満も覚えやすいかもしれません。



「感じる系の幸せ」は、
普段の生活の中でも
感じようとすれば

些細なことでも
感じることができるだけに、


一度に感じられる喜びも
些細なものかもしれません。



でも、それを積み重ねて、
大きく育てていくことには
また違う喜びがあったり、

失ってしまうことへの恐怖や
不満は生じにくいかもしれません。



どちらがいいかはその人次第。



私にとっての「幸せ」は、
高校生の頃と同じく今も
「感じる系の幸せ」です ^ ^


あなたにとっての「幸せ」は
どちらの方ですか?




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