その言葉を耳にすると、
自分の中で相手に対する警戒センサーが
ピコンピコンと発動してしまう。
そんな言葉ってありませんか?
私には、いくつかありまして、
そのひとつが
「本当に頭のいい人は〇〇なんてしない」
とか
「本当に利口な人は〇〇するはずだ」
などの
「本当に〇〇な人は~」のフレーズです。
なんで、こういったフレーズに
警戒センサーが反応するかと言いますと、
これは子どもの頃、母が私に対して
よく口にしていたからですね。
私は、子どもの頃は
” 聞き分けのよいお利口さん “
として過ごしていたので、
たとえ「〇〇したい!」と強く思っても、
母に
「本当に頭のいい子は〇〇なんてしないのよ」
とか言われると、
それ以上に「〇〇したい!」
という自分の思いを
主張し続けることができませんでした。
それを言われると、
自分の「〇〇したい!」という思いも
シュルル~としぼんでしまうような
そんな感じでしたね…。
きっと、母の前では、母の気に入る
「本当に頭のいい子」
「本当に利口な子」
でいたかったんでしょう。
でも、こんなのって、
ただの「呪縛」でしかないですよね。
「本当に頭のいい子は〇〇する(〇〇しない)」
って、
統計でもとって精査したわけでもあるまいし…。
だいたい、
「本当に頭がいい子」とか、
「本当に利口な子」ってなんなんだか…。
そう、結局は、
母が私に「〇〇させよう(〇〇させまい)」と、
自分の意に従わせようとしてただけのこと。
「呪縛」というのは、
「まじないをかけて動けないようにすること。
また、心理的に人の自由を奪うこと。」
をいうそうなので、そういう意味では、この
「本当に頭のいい子(利口な子)は
〇〇しない(〇〇する)」
というのは、まさに「呪縛」ですよね。
まぁ、もしかしたら、
それをよく口にしていた当時の母は、
「呪縛」をかけるつもりではなく、
本当に
「頭のいい子(利口な子)は
〇〇しない(〇〇する)」と思って、
そう言っていたのかもしれませんけどね…。
この呪縛に対して、
「あ~、別に私は
頭がいい子でなくてもいいよ」とか
「あ~、本当の私は大バカもんだから~」
と返せれば、
「呪縛」をはね返せたんでしょうが、
当時の私には無理でしたね。
子どもの頃の私には、
それが「呪縛」であることにも
気づけなかったですし。
だから、大人になった今、
「本当に頭のいい人は~」とか
「本当に〇〇な人は~」とか
口にする人を目にすると、
「おっと、この人は、
人に呪縛をかける系の人か?」
と私の中の警戒センサーが
ピコピコと反応してしまうワケです。
とはいえ、たとえば、
「本当に〇〇な人は△△だと思う」
みたいな意見がネットにアップされていたり、
講演などで不特定多数に対して
そういう意見を述べたりしているのを
耳にしても、
それに対して私の警戒センサーが
発動することはありません。
それは、
単にその人が自分の意見を
述べているにすぎないから。
そうではなくて、
特定少数、もしくはマンツーマン状態で、
しかも、
多少でも上下のある関係性において
上の立場の人が下の立場の人に対して
「本当に〇〇な人は~」と始めると、
私の警戒センサーは
MAXまで振れてしまいます。
「おぉ、くわばらくわばら。
この人は私に△△をさせたがってるワ」と。
「本当に〇〇」かどうかなんて関係なく、
それがしたけりゃすればいいし、
したくなけりゃしなきゃいいって
話ですからね。
その人に
「〇〇だって認めてもらいたい!」
って感じる場合ももちろんあるでしょうし、
そういう場合には
抗いがたいという面もありますが、
私の場合は
「この人に〇〇だって認めてもらわなくても
全然いいんだから、呪縛にかからないように
気をつけないと」と、
「人に呪縛をかける系の人」には
気をつけるようにしています。
他にもね、こういった言葉を、
相手に自分の言うことをきかせよう
としているわけではなく、
口にしている人もいるなぁって思います。
誰かの何かの振る舞いとかを目にして
「本当に〇〇な人は△△なんてしないよね~」
とかいう感じで。
まぁ、それは
「本当に〇〇かどうか」というよりも、
その人からすると
「そんなことするのはおかしい」とか
「そんなこと言うのは間違ってる」とか
「私はそんなことしない」とか
「私にはそんなことできない」って
ことなんでしょうけどね。
つまり、
「自分(の意見)とは違う」
っていうことを暗に批判したいときに
使うんだと思うんですが、
そこについて無自覚に
「本当に〇〇な人は~」と、
そのフレーズを口にしているとするなら、
きっとその人も
子どもの頃に親などに
「本当に〇〇な人は~」
とか言われて育ったのかもな…と
思ったりします。
このフレーズの他にも、
人から呪縛をかけられそうになる
ことって、結構ありますよね。
自分は気にもしていなかった
相手の裏の意図を
何の関係もない第三者が
親切そうに知らせてきたり
(しかも、実際には裏の意図なんか
相手は何も持ってなかったりする…)、
「自分はこういう事情を知ってるから
心配しているんだけどね」
みたいな感じで、聞いてもいないのに
余計な情報を吹き込んできたり。
「要らないからそういうの。」
っていう話を、親切のあまり、もしくは
心配のあまり伝えてきてくれるのも、
私は「呪縛」の一種だと思っています。
しかも、それが、その人の中では、
本当に親切心からだったり、
「心配のあまり」からだったりすることも、
なかなかに厄介なところですね。
だから、やっぱり大切なことは、
自分が「呪縛にかからない状態」でいる
ことなんでしょうね。
親切や心配自体には
「ありがとう」という心で接しながらも、
自分にとって不要な部分については
スルーできるような状態でいること。
呪縛をかけてくる方も
「この人は呪縛にかからないのかも」
と感じれば、
だんだんとかけなくなってきますからね。
あと、
自分もうっかりと
人に呪縛をかけたりしていないかも
気をつけたいですよね。
特に、子どものように、
自分の保護のもとにある者に対しては、
無自覚に呪縛をかけていることって
あるかもしれません。
親子関係だけでなく、
夫婦の関係でも同様に
気をつけた方がいいかもしれません。
夫婦の場合には、
「本当に〇〇な人は~」よりも
「普通のダンナさんだったら(奥さんだったら)~」
のフレーズの方が、よく使われるでしょうね。
〇〇してほしいなら「〇〇してほしい」と、
〇〇してほしくないなら
「〇〇してほしくない」と言ったり、
お願いすればいいワケで、
「普通のダンナさんだったら(奥さんだったら)~」
と相手に呪縛をかける必要なんてないですから。
たとえ呪縛をかける意図なんて
なかったとしても、
自分を後ろに隠しつつ
「本当に〇〇な人は~」とか
「普通のダンナさんだったら(奥さんだったら)~」
と言って言うことを聞かせようとするのは、
やっぱりちょっと卑怯なテのようにも
感じます…。
親子でも夫婦でも、
「呪縛」をかけると、
その場では抵抗も少なく
言うことをきかせられるかもしれませんが、
それを続けていくと、
お互いの関係性も
心も歪んでいってしまいます。
「呪縛はかけないように、かけられないように」
を心がけたいですね。