「子ども」が子どもを育てる悲劇


3歳の女の子が8日間、
ひとりで部屋に放置され
亡くなってしまうという、
痛ましい事件が
起きてしまいました。



この子を置き去りに
してしまった母親は、
その8日間の間に、
鹿児島にいる知人男性のもとに
行っていたということが
報じられています。



この事件の報を耳にして、
10年程前に起きた、
大阪でシングルの母親が
3歳と1歳の子どもを
部屋に置き去りにして
死なせてしまった事件を
思い出しました。



この10年程前の事件のときには、
その事件の内容に衝撃を受けるとともに、
私も乳児の育児の真っ最中だったので、
身につまされるというか、
亡くなったお子さんたちのことを思っても、
我が子2人を死なせてしまった
母親のことを思っても、
なんともやるせなく
切ない思いを抱いたことを
思い出しました。



この10年前の事件の母親だって、
夫がいて子どもが生まれたときには、
まさかこんな結末が待っているなんて
想像もしていなかったでしょうし、
そんな結末を
望んでもいなかったでしょうからね・・。



もちろん、してしまったことは、
どんな理由があろうと
決して許されないことですが、
夫と子どもとの幸せそうな様子を
SNSでつづっていたときから、
何がどう転んで
そんな結末に至ってしまったのか・・。



この10年前の事件は、
私が離婚カウンセラーになろうと思った、
きっかけのひとつになっています。



そして、今回の事件・・。



子どもを部屋に置き去りにして
死なせてしまったという点では
10年前の事件と同じですが、
私の状況も10年前とは変わっているからか、
10年前の事件のときとは、
ちょっと違った感覚を
覚えていることを感じています。



なんというか、
10年前の事件のときのように
“ 身につまされる ” という感覚ではなく、
ちょっと距離を置いて
考えてしまう感覚というか、
そんな感じでしょうか・・。



今回の事件は、
報道されてまだ日も浅いですし、
私も、この母親と
知り合いというわけでもないので、
その人となりなどは、
もちろんよく分からないのですが・・



それでも、
よく分からないながらも、
勝手な憶測で個人的な意見を
言ってしまいますとと・・



このお母さんの「心」は、
子育てに取り組めるほどの「大人」には
育ってはいなかったのかな・・
と感じました。



「母」という立場ではあったけれども、
子育てに取り組めるほどの「大人」ではない
=「大人未満」という意味で、ある意味、
まだ「子ども」だったのかな・・と。



このお母さんが、
まだ「子ども」だったとしたら・・・

子育ては苦痛だったでしょうね・・。



「子ども」が子どもを育てる
ということも、
無理ではないのかもしれません・・。



無理ではないのかもしれませんが、
でも、それはすごくきついことでしょうし、
「体」だけでなく「心」まで含めて
「育てる」ということを考えると、
「子ども」が子どもを育てるのは、
すごく難しいことなのでは
ないでしょうか・・。



で、いきなり話は飛ぶのですが、
私の実家では私が小学生の頃から
犬を2匹飼っており、
彼らの散歩は私の役目でした。



なんで散歩が私の役目だったかと言うと、
1匹目の犬を飼うかどうしようか
というときに、私が
「散歩には私が行くから飼って」
とお願いしたからです。



犬を飼い始めるときの
「あるある」ですよね 笑



でも、まぁ、
子どもなんていい加減なものなので、
そのうち親に押し付けて
行かなくなったりすることも
多いんだと思いますが、
ウチの場合は、
「あなたが散歩するって
 言ったんでしょ」と、
私のお願いが全うされ、
私がワンコの散歩に行っていました。

(と言っても、
 大学生の時には実家を出たので、
 その後は犬の散歩を
 親に丸投げしてしまったので、
 あまり大きなコトは
 言えないのですが・・)



子どもなんて、
目の前のものがすごくほしければ
簡単に「私が〇〇するから!」って
言っちゃうもんなんですよね・・。



しかも、子どもは、
楽しそうなことなど、
目の前の誘惑に弱い上に、
つまらないことや面倒なことには
お尻が重い・・。



だから・・・

実際に、毎日、
散歩に行かなきゃいけないとなると、
すごくしんどかった・・。



私だけのワンコじゃないのに、
「なんで私ばっかり・・」って
不満タラタラでした。



でも、散歩係は私なので、
私が連れて行かなきゃならない・・。



そうなると、
「可愛いけど憎たらしい」
「あんたたちのせいでこんな目に・・・」
とワンコたちに逆恨みをして、
散歩の最中に優しくできなかったり、
散歩コースを短くチョンボして
ごまかそうとしたこともしばしば・・。



もちろん虐待なんてしていませんが、
今飼っているワンコに対するのと
同じような気持ちで可愛がって
あげられなかったのも事実であり、
今思い返すと、
彼らには申し訳ない思いも湧いてきます。



要するに、
当時「子ども」だった私には、
「私が散歩に行くから!」
と飼うときに言ったとはいえ、
本当は行きたくもない散歩に
彼らを義務で連れて行くことは、
自分の時間なり労力なりを
奪われるようにしか
感じられなかったということです。



で、この当時のワンコたちとの
苦い思い出を思い出すたびに、
やや飛躍ながらも
「子どもに子育ては無理だよね」
と思ったりするのです。



もちろん「子ども」と「ペット」を
一緒にして考えたらいけないのでしょうが、
どちらも時には自分を後回しにしてでも
愛情をもってお世話することが必要、
という点においては同じなので、
「ペットの世話をする」ことと
「子育て」には通じるところもあるかな・・
という意味で。



で、今の家でも
ワンコを1匹飼っているのですが、
「ワンコを飼おうかどうしようか」
となったときに、
ご多分にもれずウチの息子も
「僕が散歩に行くから飼って!」
とのたまいましたが、
そこはやはり「子ども」の言うこと・・。



なんのこたぁない、
息子がワンコを散歩に
連れていくことなんて、
ほとんどありません。



でも、
「あんたが行くって言ったんでしょ!」
と責任を全うさせようとすることで、
今はまだ「子ども」の息子が、
ワンコに対して愛憎半ばする気持ちや、
ワンコに意地悪をしたくなるような
気持ちを抱くようになるくらいだったら、
「大人」の私が
気持ちよく行った方がいいのかなと、
思うんですよね。



「大人」が愛情を持って
可愛がっている姿を見て、
息子が「大人」になって
動物を飼ったときに、
「大人」として愛情を持って可愛がり、
お世話してあげられるように
なってくれればそれでよいと今は思って、
私がメインでワンコの散歩に行っています。



で、すっかり犬の散歩の話に
なっちゃいましたが、
話を今回の事件に戻しまして・・・



今回の事件のお母さんは、
「お母さん」という
自分のことは後回しにしてでも
子どもに愛情を注いであげなきゃならない
立場ではあったけれども、
それよりも、
自分に愛情を注いでくれる誰かや
楽しい何かを求めてしまう
「子ども」の状態だったのかな・・と。



「だから、しょうがない」とか
「だから、許される」とか
言っているわけではないですよ。



引き起こしてしまった結果は重大で、
到底許されるものではありません。



でも、
「子ども」が子どもを育てる悲劇が、
そこにあるような気がしてなりません。



「大人」になるというと、
経済的自立のことばかりに
目がいってしまいがちですが、
子どもを持つまでに、
心を「大人」にしておくことが、
子育てをする親と
育てられる子どもの両方を
救うことになるのではないか
と思います。

もちろん、それは男女を問わず・・・。



そのために
私たち大人ができることは、
未来に「大人」になって
子育てをすることになる、
今の子どもたちに愛情を注いで
子どもたちの「心」を育てること。



そして、
自分の心が「大人」になってはいないかも・・
という自覚があるのであれば、
自分で自分に愛情を注いで
心を「大人」に成長させていくこと。



それが、
個人のレベルで私たちに
できることのひとつかもしれません。



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