2022.7.3
ショックだった神田沙也加さんの訃報
去年の12月に亡くなられた
神田沙也加さんと
当時交際されていた
前山剛久さんが
芸能界を引退される
という記事を目にしました。
前山剛久が芸能界引退へ 神田沙也加さん死去後、芸能活動を休止
神田さんが亡くなったことを
報道で知ったときは、
特にファンというわけではない私でも
かなりショックを受けました。
その後に
ネットやニュースなどで流されていた、
一連の出来事の詳細を知るにつけ、
ことの良し悪しは置いておき、
いろいろな意味で本当に
不幸なことが起きてしまったなぁと
何とも言い表せない思いを抱きました。
実は、
そのときに書こうと思った記事が
あったのですが、神田さんが
亡くなられてしまったこともあり、
なんとなく書けずにいたのですが、
気づけば、そのあたりから
全くブログ記事の更新をしないままに
なってしまっていました。
別にそのせいで、
ブログ記事の更新を止めていた
というわけではないのですが、
今回、前山さん引退のニュースを
目にしたことで、今でも
あのときと同じことを書きたいと
思っている自分がいることを
感じたので、あのときには
ためらってしまって
書けなかったことを
書いてみたいと思います。
神田さんが書かせたとされる“誓約書”について思ったこと
私が去年の12月に
書くのをためらってしまったのは、
神田さんが前山さんに
書かせたとされる
“誓約書”についてなのですが、
なんで書くのを
ためらってしまったかというと、
「誓約書なんて、そんなこと
しない方がよかったのに・・」
と思ったからですね。
とはいえ、私には
誓約書を書かせた神田さんを
批難する意図は微塵もありません。
ついでに言うと、
前山さんを批難するつもりも
全くありません。
お二人が実際に
どんな関係性にあったのか、
心理的、立場的に
どんな状況にあったのか、
そういったところは
私には全く分からないですし、
いろいろな要因が
複雑に絡み合って不幸にして
起きてしまったことでしょうから・・。
ただ、そういった
「どちらが悪い」「何が悪い」
ということを置いておいても、
誓約書については、
今回の二人の間に起きたことを越えて、
他の人(夫婦・恋人)にも
あてはまることがあると思ったので、
それをお伝えすべく
書いてみたいと思います。
「した方がいい誓約書」と「しない方がいい誓約書」
まず、言っておきますと、
私は夫婦・恋人間の
すべての誓約書について
「しない方がいい」と
思っているわけではありません。
「した方がいい」誓約書も
あると思っていますし、
「是非、すべき」誓約書も
あると思っています。
夫婦や恋人の間で
誓約書を書かせるといった状況で
考えられるのは、
多くは不倫・浮気ですよね。
不倫、浮気とまではいかなくても、
男女関係にまつわる
不誠実な行為やグレーな行為が
発覚したときに、
出てくるのが誓約書だったりします。
ここで、たとえば、
不倫や浮気、不誠実な行為や
グレーな行為をした方が、
関係修復をするため
(許しを請うため)に
自分の意思で書くことを
望んでいる場合なら、
何も問題はないと思います。
自分の意思で
書くことを望んでいる
とまではいかなくても、
誓約書を書くことに
納得している場合も同様で、
それらは、「した方がいい」
「是非、すべき」誓約書ですね。
一方で、
問題行為を行った方の心が、
実は相手から離れかかっている場合に、
それを繋ぎとめるため、もしくは、
自分の言うことをきかせるために
誓約書を書かせる場合、
これが私が「しない方がいい」と思う
誓約書ですね。
この場合には、
表向きには誓約書を書くことに
同意していても、
本人は本当はこんなこと
誓約したくないと
思っていることが多々あります。
要は、誓約書を書く方が、
自分の意思で書いているのか、
それとも自分の意思に反して
書いているのかの違いですね。
だから、
自分の意思に反して
誓約書を書いた場合には、
誓約書を書いたにもかかわらず、
(「もうしない」と)
誓約したことを
すぐ破ってしまうということも
しばしば起こります。
そうなると
「悪いことをしておいて
誓約書まで書いたのに、
それもすぐに破るなんて!!」と、
更に不誠実を重ねられたようで、
それがますます怒りや悲しみを
生んでしまうことになります。
こんなとき、
「わざわざ書面にまでして
約束したんでしょ?」
「自分に非があるくせに、
すぐ破るような誓約書を書くなんて
不誠実にもほどがある!」と、
責めたくなってしまうのは、
もっともではあります・・。
もっともではありますが、
じゃぁ、どうして、
そんなすぐに破ってしまうような
誓約書を書いたのか?
それは書かざるを得なかったからです。
夫婦や恋人であるその二人の関係性、
問題行為をした方が
置かれている立場や状況から、
書かないわけにはいかなかった。
もしくは、
書かずにその場をおさめることが
できなかった。
だから、こういう場合には、
「誓約書を書いた」というよりも
「誓約書を書かされた」
という感じになりますよね。
誓約書を“書かせた”ときに起こること
では、自分の意思に反して
「誓約書を書かされた」ときに
何が起こるか?
それは、
「離れかかっていた心が
ますます離れてしまう」
ということです。
そう・・
関係を修復したいときに
最も起きてほしくないことが
起きてしまうのです。
それまでの二人の関係性など、
場合によっては、
反発心や嫌悪感、
その関係を維持することへの疑問
なども生じてしまうでしょうね・・。
じゃぁ、誓約書を書かせなければ、
関係は修復できるのか?
それは、分かりません。
修復できるかもしれないし、
できないかもしれない。
ただ、心の離れかかっている相手に、
その意思に反して
誓約書を書かせることは、
ますます心が離れていくことに
なりかねないということです。
結局のところ、残念ですが、
誓約書でも人の心を縛ることは
できないっていうことですよね。
誓約書を書かせたら目的は達成できるのか?
そこで、
誓約書を書かせたいと思ったときに
少し立ち止まって
考えてみてもらいたいと思うのは
誓約書を書かせる目的です。
誓約書を書かせる目的が、
『「罰」の意味を込めて、
本人の意思に
反していようが何だろうが、
こちらが望む内容にサインをさせる』
ということに(のみ)あるのであれば、
それでいいのだと思います。
でも、そうではなくて、
「関係の修復」や
「相手の気持ちを繋ぎとめること
(そのために行動を制限したい)」に
目的があるのであれば、
本人の意思に反して
誓約書を書かせることは、私は
「しない方がいい」と思っています。
なぜなら、
目的の達成とは反対の方向に
相手の心が向かっていってしまう
可能性が高いから。
神田さんが前山さんに
書かせたとされる誓約書は、
(その内容はググっていただくとして)
私には、「しない方がいい」誓約書だと
感じられました。
もちろん、先にも前置きしましたが、
それをもって、神田さんを
批難する意図は全くありません。
ただただ、亡くなってしまったことを
残念に思うだけです。
私も神田さんの
「アナと雪の女王」のアナ、
とても好きでした。
作品を観るたびに、
あの可憐な笑顔を思い出すと思います。